東京高等裁判所 昭和46年(行ケ)136号 判決
一 請求原因一ないし三の各事実、すなわち、本願発明の特許出願から本件審決の成立に至る特許庁における手続の経緯、本願発明の要旨並びに本件審決の理由の要点は、当事者間に争いがない。
二 そこで、本件審決の取消事由の存否につき判断する。
(一) 本願発明の要旨の解釈について
成立に争いのない甲第二号証によれば、「分離」なる用語は、本願発明の明細書中、発明の詳細なる説明の項には記載がなく、特許請求の範囲の項において「分離した領域」という表現でのみ用いられていることが認められるので、明細書及び図面全体の記載内容から、「分離」の意味内容を検討することとする。
右甲第二号証によれば、本願発明は、単一の結晶半導体物質の薄板の本体中に、明細書添付図面(別紙図面(〔編註〕省略)(一)参照)第1図に拡散抵抗として示されている回路素子とともに、第2図aの酸化シリコン誘電体蓄電器、第3図の抵抗―蓄電器回路網、第4図のメサ型トランジスタ、第5図のメサ型ダイオード、第5図aのインダクタンス、あるいは光抵抗素子、太陽電池その他の成分(図示されていない。)等種々の回路素子を、一体的に組込んで構成される半導体装置に関する発明であり、第1図の抵抗は、単一の結晶半導体物質薄板内のある領域に形成され、それ以外の回路素子は、同じ薄板内において、右の抵抗とは場所的、空間的に異なる他の領域にそれぞれ形成されることにより、一体化回路(一体構成体)の半導体装置が構成されることが認められる。
右認定事実及び当事者間に争いのない本願発明の要旨によれば、本願発明における「分離した領域」とは、明細書添付図面第1図の抵抗以外の他の回路素子が形成されるべき領域を指称するものであり、換言すれば、「分離した領域」であるための条件としては、単一の結晶半導体薄板内において、第1図の抵抗が形成される領域と空間的に別個の場所であつて、それが右の抵抗以外の他の回路素子の電気的性質を示すように適用されていることを必要とするものと解することができる。つまり、本願発明の要旨における「分離」とは、抵抗が形成される領域とその他の回路素子が形成される各領域とが、場所的、空間的に離れた位置にあることを意味しており、原告主張のとおり、領域相互間の場所的、空間的な分離のことであると解すべきである。
しかしながら、本願発明は、前記認定のとおり、第1図の抵抗の領域とその他の回路素子の領域とが単一の半導体薄板中に場所的に離れて形成されることにより、一体化回路の半導体装置が構成されるものであるから、抵抗の領域と他の回路素子が形成される領域との関係を電気的にみるならば、本願発明の構成要件(b)に、「抵抗が」「他の分離した領域から半導体物質を通して電気的に絶縁されている」と規定されているとおり、これらの領域相互間は、当然、電気的に絶縁されていなければならないものである。すなわち、本願発明において、いわば場所的、空間的な分離と電気的な絶縁分離とは決して矛盾するものではないことが明らかである。したがつて、本件審決が、「分離」の意味を「領域内に形成される回路素子がそれぞれ予定された電気的特性を呈し、相互間の干渉等によつて独自の機能が影響を受けない」状態を表わすものと解したことは、「分離」を電気的な観点から明確にしたことであつて、それ自体に誤りはない。また、本件審決は、「分離」が場所的、空間的な分離を意味するものではないとしているわけではなく、「分離」を右のように解したことによつて、本願発明と各引用例との対比判断を誤つたとか、あるいは本願発明の顕著な作用効果を看過したともいえないことは、後記の判断から明らかであるから、本件審決が「分離」の意味を電気的分離と解したことをもつて、直ちに違法とすることはできない。
(二) 第一引用例の技術内容について
成立に争いのない甲第三号証によれば、第一引用例は、トランジスタのような能動回路素子と抵抗や蓄電器のような受動回路素子等を単一の結晶半導体物質(ゲルマニウム、シリコン)に一体化して構成した半導体装置、特に移相発振器とその類似装置に関する発明であり、第一引用例記載の装置は、本件審決が認定するとおり、抵抗及び一つ以上の他の回路素子の電気的特性を示すように適用された領域を含む単一の結晶半導体物質の一体構成体よりなるものにおいて、抵抗が一体構成体の主面に横たわる表面を有する長部分を具備している半導体装置であることが認められる。そして、右甲第三号証によれば、第一引用例の第2図、第3図(別紙図面(二)第2図、第3図参照)表示のものに関する説明中には、「第2図及び第3図で触れている本発明のこの変形は、P型領域44と整流障壁48によりこれから分離されているN型領域46とを持つ半導体(ゲルマニウムが望ましい。)の結晶を成長させることによりなされうる。」旨の記載のあることが認められる。
右認定の事実によれば、第一引用例には、単一の結晶半導体物質の薄板中において、P型領域44が、N型領域46とは場所的に別個の部分に形成され、しかも、両領域間にはPN接合48が形成されているものが示されており、また、第一引用例の第1図と第3図とを対比すると、被告主張のとおり、第3図のものにおいて、領域20をコレクタ領域とし、これに外部配線によりP型領域44の抵抗50を電気的に接続した構造の装置(別紙図面(四)参照)を考えつくことは、技術常識上容易であつて、このような装置においては、P型領域44とN型領域46とがその間のPN接合48によつて境界され、電気的に絶縁されるものであることが明らかである。そうとすれば、第一引用例は、P型領域44とN型領域46とが場所的、空間的に分離されていることを示しており、且つ、両領域相互間はその間のPN接合48によつて電気的に絶縁分離されうることを示唆しているものというべきである。
したがつて、本件審決が、第一引用例の第2図、第3図にもP型領域44とN型領域46とは両領域間のPN接合48によつて分離されることが示唆されているとしたことに誤りはなく、この点に関する原告の主張は理由がない。
(三) 第二引用例の技術内容について
成立に争いのない甲第四号証によれば、第二引用例は、一導電型の単一結晶半導体物質本体中に反対導電型の領域を形成する手段として、特に核子衝撃(いわゆるイオン注入)による導電型変換を採用することにより、その変換の度合、範囲及び深さを所定値に制御することを容易ならしめ、動作周波数範囲の広いトランジスタ等高周波数にも適用可能な変換装置を提供することを目的とする発明であり、第二引用例の第1図(別紙図面(三)第1図参照)には、核子衝撃により得られた高周波トランジスタ増幅器が示されているところ、その構成は次のとおりであることが認められる。すなわち、ゲルマニウムのような半導体素子10は、N導電型の本体部分と、この本体部分上に形成されたP導電型の表面部分(表面層)を有し、この表面層中に相互に離間して設けたN型ストリツプ11及び12をそれぞれエミツタ領域及びコレクタ領域とし、これら両領域の間にあるP導電型表面層をベース領域とし、エミツタ、コレクタ、ベースの各領域に対してはそれぞれの電極となるオーミツク接続14、15、13が施されており、また右のN導電型本体部分にも同様にオーミツク接続16が設けられている。そして、エミツタとベースとの間のPN接合に対しては、直流電源20によつて順方向バイアスを加えるとともに、入力信号源19からの入力が印加され、他方、ベースとコレクタとの間のPN接合には、逆方向バイアスを加える直流電源22と負荷21とが接続されているので、いわゆるトランジスタの増幅作用によつて負荷21から増幅された出力が得られるのである。さらに、直流電源17の負側がP型表面層に施したオーミツク接続13に接続され、その正側がアースに接続されている一方、N型本体部分のオーミツク接続16がアースされているから、P型表面層とN型本体部分との間のPN接合は、逆方向バイアスとなつている。
また、右甲第四号証によれば、第二引用例には、「P型層は非常に薄く、例えば、約〇・〇〇二センチメートルの厚さである。エミツタ領域とコレクタ領域間の電子の流れの走行時間及びこの走行時間のばらつきは、電流の通流する材料の体積に相当程度依存するので、このような薄い層によつて生じる電流通路に対する限定が、走行時間を小さくし、且つ、走行時間のばらつきを小さくすることが分かる。N型本体とP型層との間の接合は、逆方向にバイアスされていることに注目すべきである。したがつて、N型本体は、本質的にP型層に対して受動的支持体としての働きをしている。」旨の記載のあることが認められる。
以上認定した第二引用例における第1図の装置の構成及び右記載部分に照し考究すると、第二引用例記載の装置は、高周波特性を良くするために、エミツタ領域とコレクタ領域の中間にあるP型層のベース領域の厚さを、例えば約〇・〇〇二センチメートルのように非常に薄くして電流通路を限定することにより、エミツタからベース領域に注入された少数キヤリア(電子)がコレクタに到達する走行時間を短かくして、そのばらつきを小さくしているものであることは明らかであり、第二引用例の第1図の装置においては、トランジスタのベース領域であるP型層とN型本体部分との間のPN接合が逆方向にバイアスされているため、エミツタからベース領域に注入された少数キヤリアは、接合近傍に到達したものだけがこの逆方向バイアスの作用によりPN接合を越えてN型本体部分に入るにすぎないことになり、エミツタからコレクタに至る電子の流路は、もつぱら薄いP型層内に限定され、少数キヤリアの多くは、ばらつきのない走行時間でコレクタに到達せしめられることが明らかである。何故ならば、一般に、PN接合に逆方向バイアスが印加された場合、その両側の各領域における多数キヤリアは一方の領域から他方の領域へと接合を越えて流れることはなく、一方の領域の少数キヤリアのうちで接合近傍に到達したものだけが、逆方向バイアスによる高電界の作用を受けて、接合を越え他方の領域に取込まれるにすぎないから、順方向バイアス印加の場合に比べてPN接合を流れる電流はきわめて微弱なものになるということは、技術上自明のこととされているからである。したがつて、第二引用例の第1図の装置は、逆方向にバイアスされたPN接合の作用によつて、トランジスタ部分がN型本体部分から、特に多数キヤリアについてはもち論のこと、走行時間の短い少数キヤリアについても絶縁されていることを示しているというべきであり、「N型本体は、本質的にP型層に対して受動的支持体としての働きをしている。」とされているのも右のような意味における絶縁作用が実質的に存在することを示すものと解さざるをえない。
ところで、原告は、第一引用例におけるN型本体10は、コントロール・コレクタとしての機能を営み、エミツタからベース領域に注入された少数キヤリアのうち、PN接合にぶつかる走行時間の長いものを捕捉してアースに分路する作用を行なうものであるから、PN接合は電気的絶縁機能を有していない旨主張し、証拠として第二引用例記載の発明の発明者であるウイリアム・シヨツクレイ作成の鑑定書(甲第七号証)を提出している。なるほど、成立に争いのない甲第七号証によれば、右シヨツクレイの鑑定書には、エミツタからベース領域に注入された少数キヤリアのうち、コレクタへの最も直接的な近い通路からはずれてPN接合にぶつかるキヤリアは、PN接合を越えてN型本体10にとりこまれ、アースへ分路されるから、長い走行時間を持つキヤリアがコレクタに到達するのを妨げうるとされていることが認められ、少数キヤリアの中には、PN接合を越えてN型本体10にとりこまれるものがありうることは、理論上否定し難いところである。しかしながら、前掲甲第四号証によれば、第二引用例には、N型本体10が第二のコレクタとして動作し少数キヤリアを捕捉することにつき何らの記載もなく、前記認定のとおり、第二引用例の第1図の装置は、本来、逆方向にバイアスされたPN接合の作用により、エミツタからコレクタに至る電子の流路を薄いP型層に限定し、キヤリアをばらつきのない走行時間でコレクタに到達させることを主たる目的として構成されているものであり(前掲のシヨツクレイの鑑定書にも、第二引用例の第1図及び第4図の装置において、逆バイアスされたPN接合は、ベース領域を非常に薄くするため、及び、これによりコレクタ12への本質的に直接な通路を移動する少数キヤリアのみを集めることができることを目的として作られるものであるとされている。)、少数キヤリアの中に、PN接合を越えてN型本体10にとりこまれアースに分路されるものがあるとしても、「受動的支持体」であるN型本体10を積極的に第二のコレクタとして動作させようとする明確な技術的思想は示されていないことが明らかである。したがつて、第二引用例の第1図の装置における逆バイアスされたPN接合は、トランジスタ部分をN型本体部分から、いわゆるわずかな漏れ電流以外は電気的に絶縁分離しているものとみる方が合理的であり、本件審決が、第二引用例には、PN接合によつて境界され、他の分離した領域から半導体物質を通して電気的に絶縁されているトランジスタが示されているとしたことに格別の誤りはないというべきであつて、前掲シヨツクレイの鑑定書をもつてしても右判断を覆えすに十分でない。
以上のとおりであるから、本願審決が第二引用例の技術内容を誤認した旨の原告の主張も理由がなく、これを採用することができない。
(四) 本願発明の作用効果について
(1) 前掲甲第二号証によれば、本願発明の明細書には、「如何なる場合にも成形の効果は、電流に対し直接的にするか制限するかし、半導体物質の単一の薄板において他の方法では得られない回路の組立を得せしむるのである。結果としては、最終の回路は本質的に平面状に配備せられる。薄板を工程中に成形し且つ拡散により所望されそして適当な関係でいろいろな回路素子を生成することは可能である。」、「回路設計は、全部単一の物質、半導体から形成されうる故に、それら全部あるいは若干を単一結晶半導体薄板内に第1図(「第1図a」とあるのは、誤記と認める。)図示の抵抗と一体化し適当な回路及び適正な成分値を与えるように工程操作することが可能である。」との記載があり、一体化回路半導体装置に組込まれるべき抵抗及びその他の個々の回路素子が図示され(別紙図面(一)参照)、それぞれについての説明が記載されているものの、これらの回路素子が一体的に組込まれた特定の半導体装置全体の構成に関しては何ら開示されておらず、また、原告が本願発明の作用効果(1)として主張する点、すなわち、回路素子間の電気接続の融通性及び多様性を与えうるということについても明確な記載はされていないことが認められる。したがつて、原告主張の作用効果(1)が本願発明自体に特有の作用効果であるとすることはできない。
(2) 前掲甲第二号証によれば、本願発明の明細書には、前記のとおり、「回路設計は、全部単一の物質、半導体から形成されうる故に、それら全部あるいは若干を単一結晶半導体薄板内に第1図図示の抵抗と一体化し適当な回路及び適正な成分値を与えるように工程操作することが可能である。」との記載があるほか、「第1図の方法において形成された抵抗は、幾多の重要なる利点を有する。……第二の利点は全抵抗値が大きい範囲に調節されることである。この全抵抗値は、PN接合を通してエツチングしないように充分注意し、又該PN接合13までかあるいは通つて選択的にエツチングし、それにより接点の間の電流により流れる通路の長さを効果的に増加することによりN型領域10bの一番上の部分が取除かれるまで全面にわたつて非常に軽くエツチングすることにより調節される。第三に、……抵抗がさらに以下の且つ殆ど一定の温度係数を持ち、N型区域10bのドーピングレベルあるいは不純物濃度を調節することにより、第1図による抵抗を成形する利点である。」旨の記載のあることが認められるから、本願発明は原告主張の作用効果(2)、すなわち、抵抗値を広い範囲にわたつて調節できるとの効果を奏するものということができる。
しかしながら、本願の優先権主張日当時、半導体装置に関する技術分野においては、半導体の抵抗率(固有抵抗)と不純物濃度とはほぼ逆比例の関係にあること、及び半導体にエツチング処理が施されてその長さあるいは断面積が変れば、その抵抗値が変化することは、広く知られた常識であり、一般に、半導体物質からなる抵抗素子の抵抗値を不純物濃度あるいはドーピングレベルの選択やエツチング処理等によつて所望のものとなるように調節することが技術常識であつたことは明白である。また、前掲甲第三号証によれば、第一引用例には、その第3図(別紙図面(三)第3図)の装置につき、「P型領域は望ましい負荷抵抗を持つ細長い部分50を与えるようにエツチング又は研削してよい。」とされていることが認められる。したがつて、本願発明の作用効果(2)が本願発明に特有のものといえないことは明らかである。
(五) 結論
以上のとおり、原告の主張する本件審決の取消事由はいずれも理由がなく、本願発明が各引用例から容易に発明することができたものとした本件審決の判断に誤りはない。
三 よつて、本件審決の違法を理由にその取消を求める原告の本訴請求を失当として棄却する。
〔編註〕 本願発明の要旨は左のとおりである。
a 抵抗及び一つ以上の他の回路素子の電気的性質を示すように適用された分離した領域を含む単一の結晶半導体物質の一体構成体よりなる半導体装置において、
b 前記抵抗が前記一体構成体の主面上に横たわる表面を有する長部分を具備し且つ該長部分を定めるPN接合により境界され他の分離した領域から半導体物質を通して電気的に絶縁されていることを特徴とする半導体装置